第二章 ドミノ −Like_a_rolling_stone−


「な、何でこんなことになってん……だっと!」

 転びそうになる身体の体勢を整え、透は思わず愚痴を吐き出した。
 吐き出した分だけ疲労することが分かっていても、愚痴らずにはいられない。
 現在進行形で、透は逃亡者になっていた。
 おかしい。彼は考えた。
 自分は昨日出来なかった買い物を済ませにきたはずだ。
 ファミレスに涼みに入り、遅めのランチをとる。
 適当に特売の時間まで暇をつぶす。
 そこまではうまくいっていたはずなのだ。朝の占いだって悪くなかった。それなのに。

「待てコラァ!!」

 なんでこんな暑苦しい連中に襲われなければならないのか。
 僕たち悪ぶってます☆ だなんて全身で表現しているかのような連中に。
 第一、待てといわれて待つやつなんているはずがない。
 そんなの前世紀、いや、はるかな過去からのお約束だと透は信じて疑わない。

「だから人違いだっつってんだろ!?」
「ンなわけあるかァ! どう見ても顔一緒じゃねーか!」
「そりゃ弟だよ!!」

 叫んでみても状況が収まるとは思えないが、叫ばずにはいられない。
 知らない人にとっては寝耳に水の話だ。そんなことは言われなくても分かっている。
 ましてやこの状況、相手が矛を収めてくれるはずもない。
 こういう連中は、一度沸騰したら長いのだ。

「何やったんだあのバカ……!」

 大方自分の弟が何らかの恨みを買いでもしたのだろう。
 簡単に推測できる理由だ。
 それはもう慣れた。
 慣れるのも腹が立つが、それはもう慣れた。
 けれど、それならそれでいつものように手も足も出なくなるほどに痛めつけてやればいいのだ。
 現に彼の住む第一八学区近辺で手を出してくるようなバカは、もういない。
 しかし、そうした違和感を疑問に思う余裕は透にはなかった。
 透は光と違ってケンカも強くないし、能力も平均的だ。
 レベル2は、あれば役立つこともある、程度の能力でしかないのだ。
 ケンカに役立つ能力を発揮するのは、極一部だ。
 透の能力ではたかが知れている。
 それでも。
 それでも、と後ろを振り返る。
 距離が詰まっている。このままでは捕まる。まずい。
 いざとなれば能力を使ってでも切り抜けねばなるまい。透は決心する。
 角を曲がって再び大通りに……出ようとしたところで透は突然目の前に現れた何かに盛大にぶつかった。

「おわぁ!?」
「ジャッジメnきゃああああ!!?」

 そのまま受け身も取れずに、ごろごろと地面を転がる。
 まるでコメディだ。
 ふらふらと姿勢を正す。
 けれど、三半規管が大きく揺れたためか、視界がぐわんぐわんと揺れている。

「あいったたたた。な、何ですのいったい……」
「ってえ……何ですの、じゃねえよ……」

 首を振り、透はようやく現状を認識する。
 突然現れた何かにぶつかったのだ。
 あまりに勢いよくぶつかったせいで、巻き込むように転んでしまった。
 突然現れる、ということは転移系の能力者である可能性が高い。

「あ、そうですの、風紀委員です! 暴行、騒乱の容疑で……あら?」
「あら、じゃねえよ……」

 後ろを追ってきていた不届きモノたちは、風紀委員の出現に反応して蜘蛛の子を散らすように逃げ出していた。
 逃げ足だけは速いのか、もう米粒のようになっている。
 空間移動能力者テレポーター、それも自分を移動できるほどの能力者はかなり強力な能力者だ。
 逃げ出すのも無理はない――にしてもいい逃げっぷりだが。
 何かほかに原因でもあるのだろうか。
 まぁいい、助かったとばかりに息をつき、透はぱんぱんと服を払う。
 そうして、風紀委員の少女――まだ中学生だろうか――を怒鳴りつけた。

「お前……あぶねーだろ! もう一歩タイミングが違ったら大惨事だぞ! 分かってんのか!」
「うぐ」

 空間移動テレポートは便利で強力な能力である反面、かなりシビアな計算がいる能力だ。
 脳への負担も高いという。
 空間移動は、その空間の座標に強引に割り込みをかけることで発生する。
 もし他の物質と座標が"重なって"しまうと、物質に割り込み、破壊してしまうことになる。
 その点今回の移動はかなりシビアだったのだ。一歩間違えれば死んでいた。

「ったくこれだからガキんちょは……。まー今回はたs「何か仰いまして?」……あん?」
「何か、仰いまして?」

 コロス笑みを浮かべている少女に、透は思わずあとじさりした。
 少女はちっさいなりで妙なオーラを発していた。どうやらガキ、は禁句だったらしい。
 どうみても中学生――いや、見方によっては小学生にすら見えるが、立派にプライドがあるようだ。

「い、いや、なんでもないぞ? 今回は助かりましたーってな?」
「そうですの? 最近の男性はデリカシーに欠けて困りますわ」

 ね? と同意を求める姿は可愛らしいが。可愛らしいのだが。
 顔を引きつらせ、あっさりと前言を撤回する。
 先ほど怒鳴りつけていたとは思えない程のヘタレ具合だった。
 そんな透に少女もそうですか、と笑みを抑え、風紀委員の職務を思い出す。

「ええと他の方には逃げられてしまいましたので……お手数ですけど事務所のほうまでご同行願えます? 詳しい事情のほうをお聞かせ願いたいのですが」
「げ、マジかよ……」

 ちょっと警察まで、と言われるようなものだ。
 ちょっと職員室まで、とかちょっと生徒指導室へ、よりもそちらのほうが近い。
 面倒なことになったとばかりに肩を落とす透。
 そんな姿を見て、少女は訝しげに目を細めて透の顔を覗き込んだ。

「ん、んんん??」
「な、ナニ?」

 自然と腰が引ける透。少女はまだガ……中学生といえどかなりの美少女だ。
 そんな子に覗き込まれる、という体験は何もしてなくてもどこか後ろめたさを感じてしまう。

「貴方……橋場さんじゃありませんの? なんだか微妙に振る舞いが……」

 橋場さん。
 それだけなら合っているが、生憎透の記憶に彼女のような麗しい少女の姿はない。
 ということは、答えはもう決まっている。

「……多分、俺はそいつの兄」
「兄! はー。そっくりですわ」
「よく言われるよ……」

 感心した、とばかりに頷く少女に、透は苦笑いすることしか出来なかった。


*


「それで? どうしてまたあんなのに追われていたんですの?」
「さぁ」

 空間移動であっという間に詰め所に連れ込まれた透は、テーブルひとつ挟んで少女と向かい合っていた。
(小刻みに転移することで時速200キロ強出るそうだ。本当にあっという間のことで、新幹線もびっくりである)
 便利な能力であることこの上ない。
 その分制御は難しいらしいが。透は嘆息する。

「さぁって……!」
「まー待てよ。推測は出来る。多分光のほうがなんかしたんじゃないかってな」

 椅子を鳴らして立ち上がる少女を、手の平で抑える。
 続く言葉に、少女は不承不承席に着いた。

「なるほど、確かに生き写しと言わんばかりにそっくりですものね」

 言われなければ分からないかも知れません、などといいながら紅茶を飲む白井に、透は続ける。

「だから俺はさっぱり分かんないってこと。君は? なんかウチのバカ知ってるみたいだけど」
「白井と申しますわ。橋場さんとは……その」
「ナンパでもされたか」

 言い難そうにしている点をズバっとついた。
 それくらいしか常盤台の生徒と光との接点が思い浮かばなかったからだ。
 弟の光は、透が呆れるほどに女好きなのである。
 暇さえあればナンパばかりしているような印象すらある。
 家に帰らない日は、どうせオンナの部屋にでも転がり込んでいるのであろう。
 怒っていいのか羨んでいいのか複雑な気分である。

「そうなりますわね。きちんとお断りさせて頂きましたが」

 にこやかにそう告げる白井の"お断り"はどういった内容なのだろう。
 言葉だけで済むような気がしない。
 透の背に冷や汗が伝う。まぁ光ならモノともしないのだろうが。
(光の頑丈さは、ギャグキャラ補正かといわんばかりに折り紙付である。女性にやられるほうが回復が早い、だとかなんとかたわ言を言っていた)

「ったくまーたアイツは中坊に声かけて……」
「あら。そう年齢は変わらないように見えましたけれど」

 中坊という言葉が気に触ったか、挑戦的に笑う白井に、透は苦笑いを返す。
 透にだって言い分があるのだ。

「んー、分かるだろ? 小学生と中学生の間にセンがあるのと一緒で、中学生と高校生にもなんかセンみたいなモノがあるんだよ」

 分からない話ではありませんわね、と頷きつつ、「は、それならあの殿方とお姉さまのこともあまり心配しなくても……いやしかし」などと独り言を呟く白井。
 その姿を透は生暖かく見守った。
 カワイイがちょっとヘンな子だ。そういうものなのかもしれない。
 因みに、橋場兄弟は今年高校生になったばかり、白井は中学生になったばかりだったりする。
 中学生が治安維持活動を、と驚くかもしれないが、学園都市の学生で所定の手続きを行えば、風紀委員には小学生でもなれたりするのだ。
 最も、審査はそれなりに煩雑だが。
 因みに、風紀委員ジャッジメント警備員アンチスキル
 学園都市の治安を守る両機関は、学生、ならびに教員のボランティアで構成されている。

「しっかしアイツダイナナにも手ぇ出しはじめたんかな……こんなことしばらくなかったと思うけど」
「……どういうことですの?」
「いやな。イチハチでも似たようなことがあったからさ。けっこう前のことなんだけど」
「イチハチ……? 貴方第一八学区の学生でしたの?」

 そうだよ。肯定の言葉を透は呑み込んだ。
 胸の奥に残るしこりのようなもの。
 くだらない自尊心だ。透にはそれが分かっていた。それが捨てられないことさえも。
 ピリリ、と素っ気無い電子音が場を切り裂く。
 一瞬自分か、と思った透だが、端末を手に取ったのは白井だった。
 最新モデルなのか、随分と小さいタイプ。
 小ささに気をとられてその他全てを置いてきた、と言わんばかりの代物だ。

「失礼。……あら初春。もう支部に戻ってますわ。ええ、いつもの支部です」

 きゃんきゃんと言い合いをしていると見える白井を横目に、透も携帯を手に取った。
 手持ち無沙汰になるとつい手が伸びてしまうものだ。
 逃げている間にでも着信があったのか、一件新着メールが入っていた。

「お待たせしました」
「あぁ」

 反射的に携帯を閉じる。
 透の持つ携帯は旧型――外でも通用しそうなタイプだ。
 シルバーでシンプル。それなりに気に入っていた。

「古いモデルですわね。Cタイプですの?」
「あーそんなんだっけかな。そっちはまた随分小さいな」

 透の携帯は所謂ゼロ円携帯と言うヤツだった。
 携帯はなんとなくで使ってしまえるものなので、分厚い説明書など読んでもいない。
 当然型番なんて記憶の彼方である。

「使いづらいなくしやすいとダメ要素の揃った新型ですわよー。デザインはそれなりに洒落てますけれど」
「そりゃまたビミョーな……んで、もーいいのかね? 俺買い物の途中だったんだけど」

 ぷらぷらとストラップを揺らす白井に苦笑しつつ透は切り出した。
 このまま女の子と会話し続けるのも正直悪くはないのだが。
 高位能力者で年下で風紀委員、とくると腰が引けてしまうのは仕方のないことだと思う。
 風紀委員の詰め所、というのも風情に欠ける。

「そうですわね……原因から逆算しようと思いましたが」
「あいつらの顔とか覚えてないな……」

 その他大勢の顔なんて覚える暇はないのである。
 それでなくても人の顔を覚えるのは苦手だったりする透であった。
 名前なんて言うまでもない。

「衛星には一応照会しておきますけど、あまり期待しないで下さいな。スキルアウトともなると対応が難しくて」
「げ。じゃあダイナナじゃ暫く買い物もろくに出来ねーってことか? まいったな……」

 スキルアウトはレベル0を中心にしたドロップアウト集団のことである。
 その行動範囲はピンきりで、寮を使用している者から衛星の死角で生活する者まで多種多様だ。
 学園都市の警備も万能ではないし、それでなくても今回のようなケースは対処しにくいのだ。

「お気の毒様、と言いたいところですけれど。わたくしにも責任の一端がないとも言えませんわね……」
「あー、まぁねぇ。っつーかお前マジで気をつけろよ? 演算ミスで"かべのなかにいる"とかなりたくないだろ?」
「う。言葉もありませんわね……これでも正確さがウリなのですけど」

 今回白井がちゃんと相手を捕獲していれば後顧の憂いはなかった、かもしれない。
 Ifの話だが、Ifだからこそ気になってしまうものである。
 中学生といえどやはり白井も風紀委員は風紀委員、こういう責任感は強いらしい。
 ご苦労なことである。

「責任を感じた白井さんがしばらく専属で護衛してくれる……ってないな、さすがに」
「ありませんわね。わたくしもそこまで暇ではありませんし。何より年下の女性に護られるなんて情けないとは思いませんの?」
「確かに世間体はわりぃけどな。でもテレポーターだろ? レベル……ええと4かな、白井くらいになると」
「4ですわね。テレポーターは自分の重量以上を移動できるなら4認定が一般的ですし」
「4! っかー、羨ましいね、まったく」

 4。上から二番目の4である。
 透は、2。
 きっと透が100人いても敵わない領域に、白井はいる。
 こんな小さいナリをして、である。
 呆れるやら情けないやら。肩を落としたくなるのも無理はない。

「でも貴方も第一八学区の学生ならそんなに悲観することはないと思いますけど? あちらの開発は特殊だと聞きますし」
「あーあー聞くな。後生なんでそこには触れないでくださいね?」

 あまり大きな声で語れるようなものでもない。
 ひらひら、と手を振る透に、白井は大げさに肩を竦めてみせた。
 白井のオーバーなリアクションに合わせて、透もげんなりしたポーズをしてみせる。
 ノリが悪いわけでもなし。

「うっわーやってくれるな……。ま、仕方ないか。運がなかったと思ってさっさと帰るわ。ダイナナ以外にも学区はあるんだしな」
「そうそう、自衛も必要ですの……とはいえ、うーん」

 顔をしかめてうんうん、と唸り声をあげる白井に、透は怪訝な顔を返した。
 まるで芥川龍之介や考える人のようなポーズだ。
 この少女のリアクションは何かと大仰というか記号的というかマンガチックな感じがする。

「どした?」
「いえ。あまりお役に立てないのも風紀委員としてどうかと思いまして」
「はは、律儀だな。さすがは風紀委員。それとも、さすがは常盤台なのかな?」
「常盤台は関係ありませんわ。茶化さないで下さいまし」
「ふむ」

 ならどうしようか。透は腕組みして頭を回す。
 気にするな、と言うのは簡単だが、せっかく気を利かせてくれてるんだから無碍にもしたくない。
 かといって。
 暫く考えた後、透はぽん、とわざとらしく手を打った。
 リアクションがつられているような気がしないでもない。

「じゃあアドレスを交換しよう」
「はい?」
「風紀委員直通ってことで。なんか困ったことがあったら助けてもらおうかな。テレポーターなら距離はあんま関係ないしな」

 透が出した案はそういうことだった。
 透本人としてはあまり気にすることではないのだが、妥協案といったところだ。
 最も、風紀委員直通は何かの役に立つかもしれないし、かわいい女の子のアドレスは貴重だなぁとかいう打算がないともいえない。

「む。なるほど……でもわたくしもいつも暇とは限りませんわよ?」
「そりゃそうだ。まーダメっぽいときは別の風紀委員か警備員に転送してくれりゃそれでいいや。七区以外だと苦しそうだし」

 七区以外は……というのは言葉のままの意味だ。
 風紀委員は本来学校の中、プラスその周辺のパトロールが任務が主なので、別の学区までカバーしろといわれても困るだろう。
 白井はしばらくオーバーなアクションで悩んでます、という状況を伝えてくる。
 まぁ常盤台中学は有数のお嬢様学校である。
 そのお嬢様の一員である白井にしてみたら、男にアドレスを渡すのは抵抗があるのだろう。
 まして透は光の兄弟である。
 やがて、葛藤の結果が出たのか、白井は大仰に頷いてみせた。

「ま、いいでしょう。……デートには、お付き合いしませんわよ?」
「あ、そういう手もあるか」
「やっぱりやめておこうかしら」
「ウソウソ、冗談」

 軽口の応酬。
 年下相手にならスムーズに行くんだな、と透は自分に感心した。
 そういう意味であまり緊張しなかったからかもしれない。
 弟と違って自分はそういうケはないはずだ。多分。
 三つ差なんて大したものではないけれど。

「なんだかやっぱりあの方とご兄弟って感じですわね。早まりましたかしら」
「まぁ……双子だしな。あれと一緒にされるのはなんだか複雑だけど」
「あら、双子でしたのね。ふふ。あ、弟さんにはあまり暴れるようだと取り締まります、と釘を差しておいてくださいませ」
「りょーかい」

 アドレスを交換し、席を立つ。
 ついでに時刻を確認すると、随分と時計は進んでいた。
 思ったよりも話が弾んでいたらしい。
 いろいろあったが悪くはなかったのかもしれない。
 昨日今日とついているのかついていないのか……人生分からないものである。
 数少ないアドレスがまた一つ埋まったことに透は密やかに喜びを覚えた。


*


 学園都市まちが、沈む。
 いかな学園都市と言えど夜は暗い。
 商業区や明るいが、一般の住宅区なんてそんなものである。
 透は買い物袋をぶら下げて、寮への道を歩いていた。
 幸いにもあれ以降、不良バカに絡まれることはなかった。
 日差し対策で帽子を買ったのも影響しているかもしれない。
 似合わないのであまり好きではないのだが。
 無用な出費である。

「I need a place...That's hidden in the deep...Where lonely angels sing you to your sleep...」

 それとなくメロディを口ずさみながら人気のない道を行く。
 歌う曲は少し前の洋楽だ。ギターレスで繊細な鍵盤の音を彼は気に入っていた。
 
 ふと。
 
 視界の先で、何かが行く先をふさいでいることに気がついた。
 透は訝しげに首をひねる。行きにこんなものあったかな、と。
 工事中なのかも知れない。けれどそんな知らせがあったろうか。
 通れないようだったら回り道が必要になる。面倒だな。
 いい気分を害された透はやや釈然としない面持ちで歩みを進める。
 その物体はそれなりに大きなもののようだった。
 高さはそれほどでもなく、むしろ横に長い。自分の身長とどっこいかもしれない。
 透はそんなことを思う。
 街灯に反射して鈍い光沢を放っているその物体は、動物のようなフォルムをしていた。

 ぎんいろの、4本足。

 初めてそこで歩みを止めた。
 なんだ、あれ。
 イヌ……というより、むしろネコ科。
 肉食動物に近いそのスタイル。ヒョウ? ライオン? そんな感じだ。
 銀色。恐らく金属で出来ている。
 頭部と思しき部分の口先に、蛇のようにぐにゃりと曲がった舌、と思しきものがついていた。
 なんだ、あれ。
 かしゅ、とその物体はこちらへ一歩踏み出した。
 しゅるる、舌のような触手が蠢く。生理的嫌悪感を催すような光景だ。
 透は思わず一歩後ずさりする。
 なんだ、なんだ、なんだ?
 頭の中で警鐘がなる。やばい。これはなんだ。
 自分にはこんなワケの分からない機械に知り合いなんていない。いない、はずだ。
 学園都市の掃除ロボ? いや、動物型が開発されたなんて聞いたことがないし見たこともない。
 ペットロボや番犬ロボ? ないとは言えないがこんなところにいる理由が分からない。
 じゃあ光か? 光が原因か? いやまさか。
 いくらアイツだって機械のケモノをナンパするなんてことは。
 兄としてひと言言ってやらなければならない。
 いやそれにしてもおかしくないか。あんな怪しい物体誰かが見れば通報だってするだろう。
 かわいらしい、とかキモかわいいとかそんなレベルを超えている。
 アレはなにか、そう。危険なモノだ。こんな人気のないところで一人で対峙するには、身に余る代物だ。

 待て。
 人気がない、、、、、だって!?

「……!」

 ケモノが向かってくる。こちらに向かってくる。舌をうねらせながら向かってくる!
 はやっ!
 咄嗟に身を投げ出したおかげでなんとか事なきを得た。
 銀色のケモノはその重さを物ともせずに跳び、そして静かに、着地した。
 しゅるしゅる。舌と尻尾をうねらせながら、ケモノは姿勢を正す。
 かなりの高性能を思わせるその姿。
 自分にどうにかできるようなものではない。

 やってられるか!!

 ケモノがこちらを振り向く前に、透は一目散に逃げ出した。
 あんな非常識なケダモノ相手にケンカなんて出来ない。
 そもそも素人が素手で勝てるのは体重2,30キロの犬くらいまでだと言われているのだ。
 ただでさえ普通を自認する透、こんな規格外とダンスなんて踊ってられない。

 大通り、大通り、大通り……!

 ケモノが追ってくる。自分を追ってやってくる。
 ともすれば恐慌に陥りそうな精神を、透は何度も叱咤しながら走った。
 わざわざ人払いでもしたのだろう。人がいない。なら大通りで人がいれば。
 咄嗟にそんなことを考えた透だが、ケモノは通りに向かおうとすると決まって邪魔をしてくる。
 身体能力はあちらが上だ。
 路地裏へ、路地裏へ。透はどんどん追い込まれていく。
 どう考えてもあちらのほうが速い、、、、、、、、、
 ならなんで捕まらない?
 弄ばれているのだ。ド畜生。

「おおおああああ!!」

 飛び掛ってくるケモノ。裂帛の気合とともに買い物袋で殴りつける。
 ぱァん、と派手な音とともに打ち据えられたケモノは狙いがそれたのか、透の横を掠めていった。
 中に入っていた卵でもかかったのか、一時的に動きが鈍る。
 その隙を突いて透はまたケモノと距離をとった。
 廃材置き場、その近くまで来て息を吐く。

「クソッ!」

 舌打ちする。息が切れる。なんだ、なんだなんなんだ。どうしてこんなことになっている。
 今日は何もない日だったはずだ。占いだって悪くなかった。
 ちょっとしたアクシデントは日常のスパイスだろうだがこれは。
 非日常に片足どころか身体どっぷり、、、、、、浸かっている。
 どうすれば。どうすればいい。このままだとジリ貧だ。やばい。
 あのケモノの目的が何かは分からないが、どうせロクなことにはならない。
 ぜえ、ぜえ、と呼吸音が五月蝿い。もともと運動が得意なわけでもない。当然の結果だ。
 服もところどころぼろぼろになっている。
 どうする、どうする、どうする。
 どうせすぐにあのケモノは追いついてくる。
 機械のケモノだ。センサーでも何でもついているだろう。足だって自分より速い。
 戦闘力はあちらのほうが、上だ。
 どうする。いつも自分を護ってくれた光はいない。都合よくヒーローのようには現れない。
 どうする。くそう、どうする。
 自分じゃあんなケダモノに勝てっこない。
 普通の人間相手でも自信がないのだ。
 レベル2なんて一般人に毛が生えた程度。そんなことは透が一番よく分かっている。
 このままじゃヤバい。それが分かっているのに!
 どうすればいい!?
 どうすれば、どうすれば、どうすれば!

『なんか困ったことがあったら助けてもらおうかな』

 天啓のように閃いた。ほんの数時間前のやり取り。

『わたくしもいつも暇とは限りませんわよ?』

 風紀委員のお嬢様。年下のレベル4だ。
 携帯に目を落とす。素っ気ない電子の光。
 白井、黒子――
 テレポーターの彼女なら、今からでも助けてくれるかもしれない。
 携帯には位置送信機能くらいついている。
 メールにそれだけぶち込めれば緊急事態くらいは察してくれるだろうそうだそれがいいそれならなんとかなるそうしようそうすべきだこんなの俺の手には余る。
 自分はヒーローにはなれないのだ。ヒーローには素質がいる。
 ヒーローにはそれらしき素質があるものだ。
 勇気だとか、気高さだとか、責任感だとか、才能だとか。
 自分にはそんなものはない。
 いつだって光と一緒で、光の陰に隠れて、鬱屈して、嫉妬して、諦めて、それからそれからそれから。

『……デートには、お付き合いしませんわよ?』

 悪戯っぽい、からかうような少女の顔。
 手が、止まる。
 震えながらも手が止まる。
 白井黒子。白井黒子の顔が浮かぶ。中学生の、まだ年端も行かない少女だ。
 ガキ、と言われて怒るような少女だ。ムキになるような少女だ。
 常盤台の風紀委員。そしてレベル4。
 だけど自分より年下で、華奢で、愛らしい少女だ。

「ぐ、うううううう」

 歯ががちがちと鳴る。絞ったまぶたの奥で視界が明滅する。
 くだらないプライドだ。分かってる。くだらないプライドなのだ。
 自分は、弱い。
 身体は小さいし体力もないし童顔で本当はレベル2で物珍しさもない念動力テレキネシスで。
 いつだって光の影になって生きてきた。強い弟の陰に隠れて生きてきたのだ!
 
 だけど。
 だけど、男だ。
 
 透は歯を食いしばる。ぎし、と硬質な音が脳裏に響く。
 幾らなんでも会ったその日に、それも年下の少女を危険に放り込むなんて情けなさ過ぎる。
 風紀委員である彼女は自分よりはるかに危険に慣れてるだろうし、きっとはるかに強い。
 そんなことは分かっているし理性もそういっている。でも。
 ここであの子を頼ってしまったら自分はもうダメだ、、、、、、、、
 橋場透は終わってしまう、、、、、、、、

「く、うう。何か。なんかないか」

 辺りを見回す。武器になるようなもの。それだけでも違う。違うはずだ。
 素人考えだってことは分かってる。だけどあんなケダモノ相手に素手じゃ戦えない!
 視界が右往左往する。
 ここは廃材置き場、何かしら武器になるようなものはあるはずだ!
 だが、気を取られたせいでソレの接近に気付くのが遅れた。決定的なミス。

「がッ!?」

 撥ね飛ばされる。
 がんがらがっしゃん、と廃材の山に突っ込まされた。
 埋まらなかっただけでも僥倖だ。
 圧死で儚い人生が終わってしまうところだった。

「……てえ」

 なんとか身を起こす。足が震える。
 たかが体当たり、されど体当たり。物凄い威力だった。
 ケモノはしゅるる、と舌を動かしながらこちらの様子を伺っている。
 獲物の体力でも計っているのか、狩りのタイミングでも計っているのか――
 そろそろ――来る!

「――ッ!!」

 がつん、と重たい音とともにケモノの身体がズレた、、、
 突進してきたケモノの身体を、拾い上げた廃材で横殴りにぶん殴ったのだ。
 物凄く硬かった。金属棒で殴ったはずなのに、こちらの手のほうが痺れた。
 あまり応えているとは思えない。
 それでも、初めてマトモな反撃を受けたからなのか、ケモノから受ける印象が変わった。
 ざざざ、と地面を滑りながら姿勢を正す。
 その姿勢は、先ほどよりも低く、獰猛だ。

 どこか人間的な変化――誰かが動かしているのだろうか。
 ありえない話ではない。自動制御にしては動きが精巧だ。
 じりじりと距離をとる。ケモノが前足で地面をかいた。
 行くぞ、という意思表示か。――来た!
 今度はかわす。身体をズラしてかわそうと――

「うぐッ!?」

 横殴りに身体を張られた。倒れ込む。
 顔を上げると、しゅるしゅると確認するかのように動かされる尻尾。
 理解する。ケモノが尻尾を鞭のように動かして打ったのだ。
 今まで突進しかしてこなかったので油断していた。
 このままじゃ、やばい。もたない。
 相手はこちらをなぶっている。いつまで?
 いつまで弄られる?
 死ぬまで? 死ぬまで弄られる?

「く、そ……」

 死ぬのか、俺は。
 透は壁に背を預けた。どこか妙なところを打ち付けたのか、呼吸が少しおかしい。
 死ぬ。ここで死ぬ。くだらない意地を張ったせいで、死ぬ。
 死。
 初めて意識した、死。

「は、は」

 しゅるしゅる。機械のケモノに目に当たる部分はない。
 だけど、見ている。無機質に、機会を伺っている。

 ――来る。

「は、ひゅう、ひ」

 呼吸がおかしい。どこか傷めたのだろう。
 ケモノがやってくる。俺を殺しにやってくる。俺を潰しにやってくる。
 透は廃材を杖にして、背を壁に預けて。辛うじて立っている。

 ――来た!

 銀色のケモノが、跳ぶ。命を刈り取ろうと、今まさに、跳ぶ。
 透は身を投げ出し、ケモノの足を注視する。
 今しかない。これしかない。
 もう後はないのだ。これしかない!
 効果なんて知ったことか。抵抗してやる。思い切り抵抗してやる!
 今まさに跳ぼうとするケモノの足に、ぶち込んでやる、、、、、、、

「あああ!!」

 裂帛の声とともに発せられた力――念動力テレキネシスに押されて、ケモノの体勢が、崩れる!
 とどめの勢いそのままに、思いきり壁に突っ込んでいく!
 跳ぶ瞬間に足払いをかけられたようなものだ。無理もない。
 どごんっ!! とコンクリートの壁が砕け散り、がらがらとその肢体をうずめていく。
 ――まだ!

「ああああああああ!!」

 廃材をぶち込む。狙いは――間接!
 砕けたコンクリートを能力で楔にし、手当たり次第に廃材をぶち込む、ぶち込む、ぶち込む!

「ん"ん!! ン"ん! ぬうん!! 死ねこのクソッたれえ!!!」

 聞くに堪えない雑言。思い切り歯を食いしばり、透は廃材を叩き付ける。
 洗練されているとは言い難い粗雑な攻撃だ。
 ぶづん、とケモノの足がはじけ飛ぶ。
 やはり装甲よりも格段に強度が低かったのだ。狙い通り。
 バネのように粘りのある素材だったようだが、それでも限度があった。
 透は勢いそのままケモノの四肢をぶっちぎった。
 ……。  これでもう、追ってこれまい。

「が、は、はァ!! あ"あ、はあ、はあ!!」

 膝をつき、透は廃材を投げ出した。がらん、と音が鳴る。
 埃にまみれ、喉がいがらっぽくて気持ちが悪い。
 手の平の皮は剥け、血が滲んでいる。
 ケモノは四肢をもがれ、間抜けに舌と尻尾を蠢かせていた。
 バチバチ、ともがれた先が火花を散らしている。
 立ち上がる気配は――ない。
 何度か身体を動かそうと試行錯誤していたようだが、それも今、潰えた。
 
 勝った。勝ったのだ。
 光に頼らず、誰にも頼らず、自分自身で何とかした。何とか出来た。
 及び来る理不尽に、打ち勝ったのだ。
 自分で、やったのだ!

「はぁ……はぁ……やったぞこのォ!!」

 勝ち鬨。
 吼え声が、夜闇に響いた。
 勝った。勝ったのだ。勝った!!

 自分はやれる。光の後塵を拝すだけではなく。
 自分はまだまだ先にいける!
 希望の光、弟と過ごすうちに燻っていた光が、いま、見えた!



「……え?」

 透は打ち震えていた。歓喜に。希望に。
 だから、ワケが分からなかった。
 自分が血飛沫をあげながら崩れ落ちようとしていることに、理解が及ばなかった。
 ずじゃ。受け身を取ることも出来ず、地面に転がる。
 なんだ。
 なんだ、これ。
 なんで俺は。
 間抜けな体勢でクエスチョンマークに支配される透。
 そんな透を嘲笑うように、声が降りかかる。

「あーあぁ喜んじゃってよぉ。カワイイねぇレベル2」

 くわんくわん、と鳴る耳鳴り。その向こうから低いダミ声が聞こえてくる。
 滑舌が悪いのか、ひどく聞き取りづらい。
 倒れ伏し、血みどろになりながら、辛うじて顔を上げる。
 身体が、動かない。立てない。動けない。
 何かに全身を切り裂かれた、、、、、、
 透は直感的にそう感じた。
   視界の先には、影。  月に滲む紅。
 趣味のワルい赤色に染めた髪の色をした。
 透よりも小さいのではないだろうか。

「ちょっと犬ッコロを壊したくらいで大げさに喜んじゃってさぁ、小さい。小さいね」

 ダミ声。あの赤色の少年。
 見かけによらぬ声の少年が、囀っている。

「く、あ」

 何か言おうとしても、言葉が出ない。
 何か?
 何を言うのだ。
 何が言えるというのだ。
 ほんの一瞬で、折られた、、、、
 木っ端微塵に、粉砕された。
 死から逃れてなんていなかった。
 自分は何も分かっちゃいなかった。
 自分は何も出来ちゃいなかった。

「どうした? もう立てねぇのか?」

 近付いてくる。
 影が、近付いてくる。俺を殺しに。
 俺を殺しに!

 ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。
 ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう!

「つまんねえやつ」

 ちくしょう。
 そうして、透の意識は、闇に落ちた。


*

 ―行間 二


「どうかね?」

 白衣を着た中年男性がゆったりと口を開く。
 逆立った白髪はボサボサ、痩身で猫背、陰鬱そうなその瞳はいかにもと言った雰囲気を思わせる。
 ここは第二二学区の地の底、"避暑地"と呼ばれる核シェルター施設だ。
 本来は統括理事会の所有する物件なのだが、電子戦に優れる"メンバー"によってアジトにされてしまっている。

「ええ、出力、チタン装甲は予定通り。今のところ問題ありませんが……」

 答えたのはまだ声変わりもまだかと言うような少年。
 視界に髪が掛からんとするほどに伸びた天然パーマの前髪が、目つきの悪さを程よく隠している。
 モニタには透とケモノとの戦闘シーン、そして"ケモノ"のデータが表示されている。
 少年は手馴れているのか、キーボードを叩く手も軽やかだ。

「量産型ですからね。それに武装も積んでいない。これから実験を繰り返して研磨していくんですよ」

 柔らかい男の声。
 大量に保存してある飲料から勝手にジュースを傾けている。

「チッ、けったくそワリィ。まどろっこしいんだよな、こういうの」

 赤毛の少年が舌打ちする。下品なダミ声だ。
 それなりに整った顔をしているだろうことは伺わせるが、ファッションセンスや喋り方で色々と台無しにしている。

「本来我々がやるような仕事ではないんだがね。アレイスターも面倒を押し付けてくれる。"ドーベルマン"の開発に一般人を使おうなどと」
「ですが嫌いではないんでしょう。"鼻"を組み込んだ時なんて愉しげだったじゃありませんか」
「偶には博士の悪乗りも悪くないですね。バランスユニットとして機能していますし、これ自身も武器として使用可能です」
「そうだろう。あのアイディアはよかった」

 透が舌、と表現していたのは鼻だったらしい。
 象の鼻でもモチーフにしていたのだろうか。随分と気持ちの悪い物体が出来上がったものである。
 赤毛の少年は会話に入れずに再度苛立たしげに舌打ちした。

「チッ。おい、俺はもう行くぜ? そろそろ"弟"のほうが来るんだろう」
「ああ、そうだったな。我々の中で直接戦闘の能力を持つのは君だけだ。君に任せるしかあるまい」
「はン。相手は肉体再生オートリバースだろ? すぐに済むさ」

 高らかにブーツを鳴らしながら、赤毛の少年はその場を後にした。
 残りの三人は沈黙で見送る。

「いいんですか? 一人で行かせてしまって」

 男は飲み終えた飲料ビンをゴミ箱に投げ込んだ。
 訓練された、スムーズな動作だった。

「構わんよ。ちょっかいをかけろといったのはアレイスターだ。あまり本気になるのもつまらんだろう」
「やれやれ。彼にその辺りの事情が分かっているのか……」

 肩を竦める男に、博士は「その程度の説明はしている」とにべもない。
「心配せずとも彼は戻ってこれんよ。所詮肉体再生オートリバースだとナメてかかっている彼ではとてもね」
肉体再生オートリバース……肉体損傷を回復させる能力でしたか。レベルが上がっても大した効果は得られない、と言うのが一般認識でしたが」

 男の指摘に、博士が唇を歪める。
 この仕草をした博士の話は長い。男たちは密かに肩を落とした。
 かといって、博士が男たちの心情を斟酌するわけでもない。

「君たちは虚数研を知っているかね?」
「虚数研、ですか?」
「特力研、虚数研、叡智研、霧ヶ丘付属……どれもこれも学園都市の暗部と言うべきものだ。置き去りチャイルドエラーを利用した実験で知られている。"プロデュース"、"暗闇の五月計画"、"暴走能力の法則解析用誘爆実験"……ろくなものではない」

 置き去りチャイルドエラーとは学園都市における社会現象だ。
 学園都市では原則、入学した生徒は都市内に住居を持つ事を義務付けられる。
 その制度を利用して入学費のみ払って子供を寮に入れて、そのまま行方をくらます親がいるのだ。
 置き去りチャイルドエラーとはそうした捨て子のことを指す。

「彼は出身者だよ、虚数研の。所属した研究ルームについてまでは分からなかったがね」
「つまり……また何か裏があるんでしょうね」

 男は肩をすくめる。彼もこうした仕事について、それなりに長いのだ。

「だろう。"ドーベルマン"の動作実験など表向きの理由に過ぎない。わざわざ兄弟を――それも兄を優先して指定するところにも理由があるのだろう」
「兄のほうですか?」

 聞きながら、くせっ毛の少年は舌打ちする。
 一時的にターゲットの姿を見失ったのだ。
 それでも、これまでの透の姿に大したものは感じなかった。
 一般人の範囲を超え得ない。そんな透だ。
 少年の疑問も当然と言える。

「わざわざ書類に手を加えて長点上機に入れるくらいだ。何かあると考えるのが自然だと思うが……、最も」

 新たにスクリーンが下りてくる。
 歪な顔をして風を切る赤毛の少年。
 そして、渋い顔をして風を切る"弟"。
 二人の少年が今まさに、対峙しようとしていた。

不死身ノスフェラトゥと呼ばれるほどの弟へのエサかもしれんがね」


*






⇒ トップへ
⇒ 前章へ
⇒ 次章へ